当サイトのご紹介

当サイトは刺繍・ニットのファンサイトです。
刺繍のはじめ方やニット製品の手作り方法などを掲載していきます。

当サイトは個人が運営するサイトです。会社及び関係企業・組織・人とは一切関係ありません。
当ホームページの情報の合法性、正確性、最新性、適切性などその内容については
一切保証しておりませんので、予めご了承のうえ当サイトをご利用ください。(2011/05/19)

刺繍について

刺繍とは、布地あるいはその他の素材に針とより糸で装飾を施す手芸のこと。刺繍には金属片や真珠、ビーズ、羽柄、スパンコールなどが 用いられる場合もあります。刺繍の特徴は、チェーン・ステッチ、ボタンホール・ステッチ、ランニング・ステッチ、サテン・ステッチ、 クロス・ステッチなど、ステッチの最古の技法に基づいていることです。機械刺繍は産業革命の初期に登場して、手刺繍、 チェーン・ステッチを模倣するために使われましたが、機械によるサテン・ステッチやヘム・ステッチは、複数の糸によって施されるため、 見た目は手刺繍と似ていますが構造は異なるそうです。刺繍には人の手で行う手刺繍と、機械を使用する機械刺繍、剣山状の針を使って布に 糸を埋め込むパンチニードルがあります。刺繍には、さまざまな色に染められた六本取りロウ引きなしの刺繍糸と針穴を大きく取った 刺繍針が使われます。材料が糸であるという性質上、混色がおこなえないため、使用する色の数だけ糸を用意する必要があります。 そのため、文化刺繍など数十色の色を使用する刺繍を行う場合は、専用の針山が使われます。

中国の刺繍は3000年近い歴史を持つと見られていて、周の『礼記』に養蚕や刺繍に関する記載があり、毛織物に簡単な刺繍を施したものも 出土しています。湖北省からは戦国時代中期の、湖南省からは前漢の細かな刺繍を施した布の実物が多数出土していて、現在の湘繍のルーツと見られています。日本では、縫い目に呪力が宿るとされていたため、大人の着物に比べ、縫い目の少ない子供の着物には悪いモノが寄り付き やすいと考えられていました。そのため、子供を守るために着物の背中に「背守り」と呼ばれる刺繍を施す風習がありました。 中世ヨーロッパでは刺繍は上流階級の女性の教養として広まったようです。

日本刺繍について

主に着物や帯、相撲の化粧廻し、日本人形に用いられており、古くは甲冑などに施されています。日本刺繍は生産地によって呼び名が変わり、 京都では京繍、江戸では江戸刺繍、加賀では加賀繍と呼ばれます。また、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」では経済産業省が 認定する伝統工芸は国から指定によって保護や援助を受けていますが、日本刺繍の中では「京繍」と「加賀繍」が指定されています。 現在、市販されている着物や帯に施されているもののほとんどは機械刺繍であり、手作業による日本刺繍はとても貴重で珍しいようです。

日本刺繍の原点は約西暦500年にインドから中国のシルクロードを渡って伝えられた「繍仏」にあるようです。 繍仏とは仏像を刺繍によって表現する技法です。日本で特に繍仏が広まったのは寺や仏像が盛んに作られた推古天皇の時代であり、 日本でも繍仏の製作が広く行われるようになりました。日本で現存している最古の繍仏としては「天寿国曼荼羅繍帳」があげられ、 今でも奈良県の中宮寺に保管されています。文献上で最初に登場する繍仏は西暦605年日本書紀に「飛鳥寺に安置する銅・繍の丈六の 仏像をそれぞれ造らせる」と記載があります。平安時代には貴族や富豪で豪侈品、雅楽の衣装に用いられるようになり、 桃山時代には能装束、江戸時代には町人階級に普及しました。

刺繍糸

日本刺繍で使われる絹糸は釜糸と呼ばれます。これは4〜12本の細い絹糸の束で、撚りがかかっていません。通常は釜糸複数本に撚りを かけて使ういますが、デザインによっては釜糸のまま用いることもあります。撚りをかけることにより絹糸の本来持つ光沢を生かし、 縒りの強弱によって光の反射を加減し繊細な模様を表現していきます。また、複数の色を組み合わせることで微細な色合いを表現することが 出来るそうです。

刺繍針

糸を通す穴の部分が平たく、針先が鋭いのが特徴です。現在では手打ちと機械打ちのものが存在しています。名称は、大太・中太・相中・ 相細・天細・切付・大太です。

刺し子について

刺し子とは、手芸の一分野で、布地に糸で幾何学模様等の図柄を刺繍して縫いこむことです。 保温、補強等のため木綿布に木綿糸で補強したものが始まりとされています。藍色の木綿布に白糸で刺すものが定番ですが、最近では、 布/糸ともカラフルな色合いのものもできてきています。有名な刺し子技法には津軽の『こぎん刺し』、南部の『菱刺し』、 庄内の『庄内刺し子』があり、これらを日本三大刺し子といいます。田中忠三郎が調査・収集した刺し子のうち津軽・南部の刺し子着 786点が国の重要有形民俗文化財に指定され、学術的価値は勿論、田中忠三郎独特の審美眼にかなった芸術的価値も高いコレクション として認知されています。

重要有形民俗文化財

重要有形民俗文化財は、日本の文化財保護法において、衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、 民俗技術などの無形の民俗文化財に用いられる衣服、器具、家屋その他の有形の民俗文化財のうち、特に重要なものとして国が 指定したもののこと。

田中忠三郎

田中 忠三郎は、日本の民俗学者・民俗民具研究家・著述家です。渋沢敬三に傾注し、民具の調査・収集に奔走してきた在野の学者で、 私有する2万点以上に及ぶ民具・衣服などの貴重な日本のアンティークコレクションでも有名です。これらコレクションは柳宗悦、 青山二郎、白洲正子らの流れを汲む「用の美」を体現するものとして、寺山修司、黒澤明、都築響一らが作品制作のために借り受けました。 またこの他に所有する古書・近世文書のコレクションも1万点を超えます。歴史学者はもとより棟方志功や高橋竹山ら芸術家・ 文化人との交流も深い。2009年より「布文化と浮世絵の美術館」浅草アミューズミュージアム名誉館長

こぎん刺しについて

こぎん刺しとは、青森県津軽に伝わる刺し子の技法のひとつです。 津軽地方では、野良着の事をこぎんと呼んだためこの名前がついた そうです。他の刺し子との違いは縦の織り目に対して奇数の目を数えて刺すことです。 偶数の目でさすと青森県南部の菱刺しになります。 こぎん刺しの研究家・衣類の収集家としては民俗学者の田中忠三郎が挙げられます。こぎん刺しの歴史享保にさかのぼります。 当時津軽地方では綿の栽培ができなかったため、手軽に綿製品を使えなかったことと、 1724年「農家倹約分限令」により、 農民は仕事着、普段着において木綿が禁止され、紺麻布を着ていました。しかし麻は繊維が荒く、津軽地方の冬の寒さを防ぐことが できなかったため、麻の糸で布目を埋めていき、木綿の糸が手に入るようになると農家の女性が競うように刺繍をして、暖かい空気を 服の中に留め、快適な被服気候を保ったそうです。刺繍を細かくすることで、肩に背負う籠ヒモからの摩耗を防ぎ、装飾性の上昇にも つながりました。

三縞こぎん

肩から下に太い3本の縞が刺されています。肩から荷物を背負うときの補強をかねています。西津軽郡木造町、北津軽郡金木町の辺りで 刺されており、3本の線が特徴的なので三縞こぎんと呼ばれました。

東こぎん

太目の糸の生地に、大柄の総刺しをしたものが多いようです。他の小ぎんと違い縞模様がありません。 弘前城から見て東の南津軽郡平賀尾上黒石周辺地域でさされているため東こぎんと呼ばれました。

西こぎん

細めの繊維に織られた布を使い、肩の部分に横縞と背中に魔除けや蛇よけのための「逆さこぶ」と呼ばれる模様を刺します。 弘前城から見て西の弘前市から中津軽郡一帯で刺されたため西こぎんと呼ばれました。